フラクタル 3話 「グラニッツの村」感想 [TVアニメ]

フラクタル 3話 やっと観ました。

やっと、話が進んだと言うより、始まりましたね。
できれば、もっとアクションがあれば、
観ている人を楽しませる事が出来たのでしょうけど。

最後の銃撃戦であそこまで人が死ぬ殺伐とした雰囲気になるとは
思いませんでしたけど、インパクトはあったので良かったんじゃないでしょうか。

ネッサの本体?みたいなのも出てきて、色々と気になる所も出てきたし。

SFの構造としては、科学が発展した結果、
コンピュターに人間が統治される管理社会ですね。
ユートピアが実はディストピアになっている王道のSFだと思います。
『マトリックス』など色々とありますね。

でも、僧院というのが、フラクタルを生み出した人間の組織ならば、
コンピューターvs人間ではなく、人間vs人間の構図になるのかな。

レジスタンスのリーダーの青年が語りすぎな気もしましたが、
物語の持つメッセージに向けて動き始めた感じですかね。
でも、あそこまではっきりとした洗脳が行われているとも思わなかった。
そのでいで、あんな極端なベーシックインカムが成立しているのでしょうね。



どこでか忘れましたか、少し前に、原案の東浩紀さんが、
「触れることのできない二次元の女の子と
触れる事の出来る現実の生身の女の子」
と言う事に触れた発言をしていたと思います。たぶん。

それは、ネッサとフリュネの事ですね。
(今回で生身?のネッサも出てきたけど)

ネットでも色んな方がおっしゃて話題になっていましたが、
ここから見えるフラクタルのメタ的な構造ってのは、
やはり、企画段階からあり、仕組まれているはずです。


個人的には、ものすごく評価できるのですが、
山本寛監督はそれがやりたかったのかと言いたいです。

いえ、でも僕はこういうメタ作品好きなんですよ。
でも、現状のアニメ業界に批判的な主張をする作品はいいんですけど、
山本監督が目指したのは、ジブリの様に、
アニメを観ない人達が観ても楽しめる純粋な冒険活劇じゃなかったのかと。

そんなメタ的構造で、アニメファンと業界に警笛を鳴らすなんてするまでもなく、
また、そんなアニメ業界の現状の事を考えさせるまでも無く、
作品だけで誰もが黙って肯けるような大作じゃなかったのかと。

今後の展開で単純に物語に対して、のめり込める様になる事を期待します。

でも、個人的にはこの発言と今回の話でメタ構造が見えた事によって、
やりたい事も、主張している事も、ものすごく評価できますし、面白いと思います。



このメタ構造に、今のアニメの現状がどのように当てはまっているのか
自分なりに考えるのが面白かったので書きたいと思います。

まずやっぱり、洗脳されている人間は今のアニメファンでしょう。

キャラクターを求めるだけのファンが自ら作りだした、
今のアニメ業界がフラクタルシステムですね。
( フラクタルシステム=製作委員会システムってな気もしますけど、流石に(ry )


自分は本当に、アニメオタクが、二次元の女の子にしか恋できないなんて思いませんけど、
現状として、そういったアニメしか売れていないから、同じことなのでしょうね。

また、アニオタが二次元に恋して、
生身の人間との繋がりを失っているとも僕は思いませんけど、
フラクタルの世界に置いて、人間がドッペルという虚構に依存しきって、
コミュニティ社会崩壊した世界の象徴なのでしょうね。

その世界に満足していているが、何か違和感を感じて、
ノイタミナを観始めたのがクレインと言う名前の視聴者でしょうね。

ノイタミナという企画コンセプトが良いか悪いかは置いといて、
ロストミレニアムというレジスタンスがノイタミナですね。
(実際は違うと思うけど・・・)

さしずめ、あの村長が山本幸治プロデューサーで、
青年のリーダーは山本寛監督でしょうか。

「フラクタルシステムは誇りを奪った!
俺達を管理する為の方便でしかない!
そして、それはもう崩壊している!」

って台詞は、もうそのまんまですね。

そして、フラクタルシステムを神格化して信仰しているのが、
秋葉文化だったり、俗に言う萌え豚、それを意図した製作委員会でしょうね。


フラクタルターミナルというナノマシン?ってのは何なのか思いつきませんでしたけど、
アップデート儀式ってのは、新たにアニメを放送始める事でしょうか?

あの、瞳孔見開いて、逝っちゃってる人間達は、
二次元キャラでオナニーしてる萌え豚にも見えましたけど・・・。
ってなると、あの儀式ってのはコミケなのかな。

ネッサがトイレのモニターに映り、文字通りの二次元美少女になっているの対し、
フラクタルに反対する人間であるエンリが、そのモニターをぶっ壊してまで、
便器に捨てるシーンは印象的でした。

まるで「二次元萌えキャラなんて糞喰らえだ」と言ってる様。

やっぱり、ネッサが今のキャラクターアニメの象徴なのだとすると、
これからネッサがどうなっていくのかを考えると、気が引けちゃう気もします。




うわあああああああああああ ネッサちゃあああん




「エッチ」「エッチ」と何度もこの言葉が使われていますが、
これも、やっぱりアニメキャラを性的な目で見る事に対してですかね。


こういった意味で作られているのでしたら僕は本当に評価できると思います。
でも、ここまで書いてですけど、
フラクタルというキャラクターアニメを完全に否定しないで終わって欲しい。

というのは、僕がネッサちゃんペロペロって言う訳(だけ)ではなく、
やはり、こういったキャラクターだけでアニメが売れるコンテンツでも、
それを求める人もいれば、それによって生活している人もいる訳ですよ。

秋葉原文化の商業的価値だけじゃなく、声優のアイドル化や、同人作品。
アイドル声優のコンサートで生まれるあの異常なまでに訓練された一体感なんかは、
あれはあれで、完成された一つのエンターテイメントだとすら感じます。
(1回も行った事無いけど・・・。けいおんライブは行きたk(ry)


それに、コミックマーケットだって1つのコミュニティだし、
現実からの逃げだろうがなんだろうが、そこに1つの自分の居場所があるのなら、
それはそれで、その人にとっては良い事なのだと思うのですよ。

二次元キャラと違って、ネッサちゃんは自我を持っているのかもしれませんが、
でも、それも結局は虚構にしか過ぎないと言って、
完全に捨て切ってしまうのも、違うと思うのです。


それでも、今の現状では、過激でもネッサちゃんを公開処刑にして、
アニオタの目を覚ます事が必要なのかもしれません。



(健気なネッサちゃんが可哀そうで可愛いすぎて、
 逆に人気出るんじゃないだろうか・・・)



【追記】
2話目を書いた時の記事で書いた。
ネッサに生体データがうんぬんっての、やっぱり全然違いましたね。
ナノマシン無しの人が、見れないのは分かるけど、
触れる事まで出来るのはなぜだろう?
また、触れられない人もいるのはなんでだろうか?

でも、ネッサがセクサロイドだってのは、メタ的には合ってたのかな。

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